Strings Diary

自称ライトな鉄道マニアが書く日常と思い出語り。

出札補充券を列車の中に置いてきてしまった話【日本半周'24冬#9】

タイトルの通りです。リゾートしらかみぶな編成で秋田に到着し、すぐに東京行き最終のこまちに乗り換えて、盛岡で1泊する予定でした。ところが。

有人改札特急券と一緒にこれを見せようとしたところ、かばんの中に入っていないことに気づきました。思い返せば、検札があって前の座席の網ポケットに置いてきてしまったのです。

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乗ったのがやまびことかであれば、直後のはやぶさで抜き返して回収・・・なんていう芸も効いたんでしょうが、運の悪いことに乗ったのは最終のこまち号。自力で取り返すのはもう無理です。

なんという大失態。本来であれば、再収受証明のあるきっぷを新たに買い直すところだと思いますが、そんなことできません。

改札さんに申し出て、待つこと1時間。私が不正な申告をしている可能性もあるので、確認のために待つのは仕方がないことです。時刻は22時30分過ぎ。帰ってきた答えは、「ひとまず出札補充券は見つかったが、秋田運輸区で事故札として扱う。業務連絡書を渡すが、明日の13:00以降になる」というものでした。

翌日朝のひなびで遠野に行く予定でしたが、そのときはあきらめて全区間普通乗車券を購入することに。

花巻駅30分停車のあいだにお出迎えがありました。

このひなび号は花巻駅で30分ほど止まります。この隙に、駅から1kmほどのところにある公園へ。ここにはかつて花巻の街にあった花巻電鉄の車両が保存展示されています。一時出場して駅前の地図を見て発見しました。お出迎えを見物していたので往復ともに走る羽目になりましたが、きちんと間に合いました。こういう場面で乗り遅れないのは私の特技だと思っています。

便宜的に一時出場を認めてもらえました。

盛岡から2時間ほどかかって遠野に到着。盛岡にうまいこと13時ごろつけるよう折り返しの快速はまゆりの指定券を購入して街に繰り出しました。訪れたのは「遠野物語の館」。駅から近く、アクセスよさげ。

語り部(?)の方がお話しされたものの録音が流れていたのですが、生粋の関東人の私には通訳が必要なくらいでした。雰囲気だけは一丁前に満喫して駅に向かって歩いていたところ、盛岡駅から業務連絡所の準備ができたと電話がありました。すぐに快速はまゆりで急行し、これを受け取りました。と、写真を載せたいところですが、めんどくさいのでやめます。

 

これでまあなんとかなったので旅行は継続できます。

盛岡冷麺を食べ、自分用のお土産としてかもめの玉子を買って、気を取り直して東北線で北上、北上からは北上線のキハ100で駅ナカ温泉ほっとゆだ駅に行きました。

萩の月なんかよりもかもめの玉子の方が断然おいしいと思うのですが、なぜか「東北のお土産」といえば萩の月なようで、とんだ大行列を作っているのを目にします。かもめの玉子の方がおいしいのに。

つべこべ言いながら乗る北上線もまたいいものです。

錦秋湖横目に。

駅ナカほっとゆだ温泉では、いわてホリデーパスを片手に持った旅師のおじさんとちょっとばかりお話ししました。曰く昔は今の私のように長期で家を空けて全国歩き回っていたそう。年を取った今はこうして小さなフリーパス片手に旅行をしているんだよ、どこか行かないと気が済まないものでね、とおっしゃっていました。私も数十年後はああなるのだろうか・・・。

建物の2階には無料の休憩場所がありますが、19時までということで、待合室に追い出されてしまいました。先ほどのおじさんが北上行きの普通列車に乗られ、お住まいの北上方面へ戻って行かれたあとのほっとゆだ駅はしんと静まり返りました。見渡せば、全員乗って行ってしまったようで、友人Tと待合室で昭和歌謡をうたって寒さを紛らわせておりました。夏の日の1993、DIAMOND、まっきー、などなど。

1窓しかない地方駅の出札。大好きです。営業時間の短さもポイント高め。

キハ100のボックス席に陣取って、エンジン音に耳を傾けるというのがお決まりのパターン。終点の横手まで乗って快活CLUBで一泊しました。

津軽鉄道名物ストーブ列車とリゾートしらかみボックス席の旅【日本半周'24冬#8】

旅もついに後半戦。出補片手に旅程を進めてまいります。

 

【Day10】

弘前から五能線普通列車に乗って五所川原で途中下車。これぞ津軽の駅という感じで、雰囲気はばっちりです。出札が数年前に閉まってしまったのが残念です。

津軽五所川原駅には推進運転で入線してきました

今回はたまたま往復ともにストーブ列車にあたりました。この日は牽引機の調子が悪いとか何とかいって、一般のディーゼル車が牽引。往路はその一般車に乗り、復路でストーブ列車に乗ることにします。津軽鉄道津軽五所川原駅には戦前製の除雪車や客車などがずらり。さびにさび、もはや博物館級です。

ストーブ列車はご覧の混雑。観光バスでいらした方とぶつかったようです。他方一般車はがらがらでした。

発車する際、一般車「走れメロス」号のパワーが足りないのか、エンジン音はかなりするのにもかかわらず、加速は相当ゆっくりでした。乗ること30分、金木駅で下車。

金木以南の津軽鉄道タブレット閉塞となり、交換をやっていました。駅にはタブレット閉塞機があり、帰りのストーブ列車のきっぷを買うついでに一声かけて写真を撮らせていただきました。

で、斜陽館に行ってみようということで、駅から歩きましたが、途中にも太宰治ゆかりの建物がいくつもあり、油を売りながらということになりました。

内部は充実していて、折り返しの時間は1時間半ほどを見込んでいましたが、足りないくらいでした。

このあたりはぎゅっとまとまっていて、鉄道で軽く観光するのにおすすめです。

www.city.goshogawara.lg.jp

金木から五所川原まではふたたび津軽鉄道に乗車。今度はストーブ列車です。この車オハフ33もまたとんでもなく古く、Wikipedia曰く昭和23年製。

車内では石炭ストーブでするめを焼いていただきました。北陸トンネルの事故以来、鉄道の中で火を使うのは基本的にはダメなはずですが、そこらへんの安全管理は徹底しているのでしょうね。

このするめが硬いのなんの。かみすぎてこめかみが痛くなりましたが、焼き立ての味は抜群でした。

五所川原からは臨時快速リゾートしらかみ4号に乗車。キハ48を改造したぶな編成のボックス席を楽しみたいと思います。ボックス席に乗ったからにはフルフラットにして"C寝台"にしたくなるものです。ところが。

わかりにくいですが、画面右側の席は機構が壊れていて、左側しかフルフラットにすることができませんでした。一緒にいる友人Tはこのフルフラットに特段の思い入れがないようで、あっさり譲ってくれました。やっぱりここに寝っ転がってでかい窓越しに流れる景色を眺めるのはいいものです。

千畳敷駅で15分ほどの停車。料金券の途中下車は認められていませんが、便宜的な一時出場という位置づけ、なんでしょうか。私ももちろん降りました。

日もすっかり落ち、19時ごろ終点の秋田に到着。ここから東京行き最終のこまち号で盛岡へ、この日は盛岡の快活CLUBで一泊・・・なのですが、このとき出補をこのこまち号の車内に忘れてきてしまうという大失態を犯しましたが、詳しい顛末はまた次回。

 

***

p.s.

画像が重かったでしょうか。軽くするのがめんどくさかったのでそのままにしました。失礼しました。

私はいかにして鉄道マニアになったのか【きっぷで思い出語り#11】

きっぷとともに思い出を供養するこの連載ですが、今回は毛色を変え、私の鉄道マニアとしてのキャリアを書いてみようと思います。

 

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横浜の戸塚で生まれた私は、3歳ごろまで線路沿いの団地に住んでいました。東海道線横須賀線の大船方面行きの列車に乗っていて、戸塚駅に着く手前で進行方向左側に見えるあの団地です。

公園で遊んでいても、列車の音がすると「あ!すーぱーびゅーだ!」とか「これはなりたえくすぷれすだ」などと、走行音だけで識別していたようです。たまに跨線橋の上に連れて行ってもらっては列車に手を振り、ミュージックホーンを鳴らしてもらったときはうれしかったのを覚えています。

そして再訪。10年越しです。

余談ですが、個人的な戸塚名物は肉のさいとうのジャンボメンチカツ。戸塚駅の改札を出て左、トツカーナ地下1階にあります。

saitogyunikuten.co.jp

 

最近写真が数千枚は入っていると思われるHDDを一から全部見返してみました。すると驚いたことに、自分でも記憶のないものが出てきました。

まずはこちら。スーパービュー踊り子号の展望車、グリーン車です。手前でふんぞり返っているのが私です。2010年7月の写真ですので、6歳ですね。家族で伊豆に出かけたときのものでしょう。ただのクソガキのくせしてA特急料金のグリーン車に乗せてもらっちゃって。。。両親には感謝です。

 

お次はこちら。

2010年7月29日、16時17分撮影。奥にはスーパーひたち時代の651系も確認できます。

下りカシオペアの上野発時刻が16時20分でしたので、正真正銘本物の寝台特急カシオペア号ということになります。言われてみればこのとき上野駅13番線に行ってホームから車内をのぞいたような記憶がないわけではない、ような気がしてきました。5~6歳のときの話です。

 

それから数年がたち、小学生のころは上の写真に写っているいとことは別のいとこと一緒に鉄道模型にハマりかけました。誕生日プレゼントやサンタさんにNゲージをお願いして、土日になれば自室に引きこもって走らせていました。ただ、狭い家なので、ずっとおきっぱなしにしておくわけにはいきません。いちいち全部出して全部片づけていましたので、くそみたいに時間がかかり、結局やめてしまいました。今は自室のはしっこに留置しています。

 

そこから数年は鉄道からは離れ、再び目覚めたのは中学3年の秋。部活での出来事にいろいろ考えを巡らせながら、ひとり東海道線で小田原まで行った記憶と当時使ったきっぷが手元にあります。今思えばただの乗車券と普通列車グリーン券です。今日同じことをしてもきっぷは自動改札に通してしまうでしょうが、この3枚だけは捨てることができないのです。

 

あまり詳細に書いてしまうと、知っている人がネットでこの記事を発掘したときにぎょっとするかもしれません(なわけないか)が、そんなことは無視して書きます。

私は都内の中高一貫校に通い、吹奏楽部でした。運動部には部長とキャプテンがいると思うのですが、私はそのキャプテン的なポストにいました。インスペクターってやつです。書いてるうちに懐かしくなってきてしまいましたので、気が向くままに書き続けます。

中高一貫校でしたので、中学1年生から高校2年生まで、一緒になって活動することもあれば、中高別に活動することもありました。中学3年生の秋の文化祭を機に主に高校生と一緒に活動をすることになっていました。そして間もなく異変に気付き始めました。先輩と合わないのです。パートの中には先輩も後輩も男は私一人。それはあまり問題ではないのですが、次第に嫌になってきてしまい、部活からは離れていきました。学年のキャプテンなのに、です。

最近聞いた話によれば、当時の先輩は病気を抱えていて精神的に不安定であったのではないかということなので、なんとも言えないところではありますが、「頼むから部活に来てくれ」と休み時間に怒られたこともありました。

んなことわかっとるがな。彼女にもフラれて困り果てた私はひとり小田原まで往復。今考えればなんてことはなく、なんなら今すぐにでも行っていいくらいなのですが、当時にしてはだいぶ遠出したなあという感想を持ちました。

strings-travel.hatenablog.com

 

これ以降は一番最初に投稿した記事の通りです。きっぷや旅客営業規則まわりに興味をもってしまい、現在はそちらの方面にまい進しているところです。人生なにが起こるかわからないものですね。

 

strings-travel.hatenablog.com

 

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自分の記憶ができるだけ鮮明なうちに、将来の自分のために(なるかわからんが)残しておきたいんです。結局のところ、残しておきたい症候群で、断捨離とか向いていない系の人なんでしょうか。

【ご報告】出札の取扱いの誤りを指摘したところ、JR東海から返金を受けることができました

某駅の出札で区間変更を申し出たところ断られてしまいました。ありがたくも読者の方のご教示を受け、後日問い合わせフォームからクレームしたところ、本来取り扱うべきであった金額との差額を返金してくれることになりました。

詳細はこちらの記事に記しております。

strings-travel.hatenablog.com

ジブリのDVDを返すためにTSUTAYAに向けて自転車をこいでいたところ、助役さんから電話があり、丁重にお詫びを言われました。そして届いた封筒がこちら。

詫びの一言でも入っているかと思いきや、現金がそのまま入っているだけでした。その一筆をネットにさらされたくない気持ちはわからなくもありませんが、私なら一筆したためるのにな、と思いました。

 

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にしてもおかしな話だと思っています。誤った取り扱いをしたために多く払わされた分は、旅客が後日申し出ないと返ってこないというのです。しかも区間変更なんて規則に詳しくない方は知る由もありません。ちょっと前までは私も知りませんでした。

区間変更は、乗車変更ほどではないにせよ、知っていれば利用したい人が一定数いるのではないでしょうか。本来存在するはずの規則を駅員が知らないがために、旅客が不利となる取扱いをさせられるのは不当と言わざるを得ないのではないでしょうかね。改札や出札には規則や規程の周知を徹底してほしいものです。係員の誤りを旅客が指摘するのは、お互いにとってあまり気持ちのいいことではありません。

 

愚痴、おしまい。

ニッカウヰスキーの蒸留所を見学して本州に渡る【日本半周'24冬#7】

【Day8】

この日は余市にあるニッカウヰスキーの蒸留所見学へ。札幌から快速エアポートに乗って向かおうとしましたが、ずいぶん遅れ、小樽から山線の普通列車も接続待ちでさらに遅れ、とんでもないことになりましたが、滑り込みセーフでした。

工場内にはウイスキー独特の香りがただよっていました。

見学のあとは試飲が待っています。19歳ですのでアルコールは飲まずにソフトドリンクにしました。ウイスキーの試飲は20歳になってからのお楽しみということにしておきます。

この日は大したことはしていません。小樽の市街地を一周して快速エアポートで札幌へ。もちろんuシートです。札幌ではせっかくなので松尾ジンギスカンへ。前日の夜に別のお店に行ったところ1時間待ちなどと言われて諦めるという痛い思いをしましたので、今日は友人Tが予約してくれました。

やっぱうまいわ。

www.matsuo1956.jp

【Day9】

そして翌日。この日は室蘭から出る津軽海峡フェリーで本州に渡る、つもりでした。山線経由で長万部を経由してから室蘭港に行くか・・・などと思っていましたが、北の大地入場券収集にまい進する1日となりました。普通列車や特急北斗を乗り回し、この日集めた北の大地入場券は6枚。

東室蘭駅前のいい感じに小汚い(町中華に対する最大級の褒め言葉)中華屋でのんきに焼き肉定食なんて食べていると、HPを見ていた友人Tがひとこと。「今日のフェリー、運休らしい」。

フェリーが運休だろうがなんだろうが、うまいもんはうまい。

寝耳に水です。船舶の整備の関係で今日という今日に限って欠航するというのです。一緒にいる友人Tは函館から青函フェリーで本州に渡ると言い出しました。駅からフェリーターミナルまで遠いうえにろくな睡眠時間もとれないだろうが。思いリュックを背負って歩いてたまるか。というわけで、キャリーケースにもなるリュックを持っている友人Tはフェリーで、私は函館で1泊してから翌朝の北海道新幹線で本州に渡ることになりました。

翌朝青森駅で再開した当人はケロっとしていて、拍子抜けしました。もっとげっそりしているかと思ったのに。
八甲田丸やねぶたの資料館、ちょっと足を延ばして浅虫温泉にも行きました。

そしていよいよここからは出札補充券の出番となります。東京を発つ日の朝に品川駅で受け取ってきました。ぎりぎりセーフ。横浜市内着になっていますが、実際には東京までしか使いません。最後まで使ってしまうと回収されるおそれがあるためです。

この日は弘前で宿泊。川部から五能線経由で秋田方面に向かうという経路ですので、弘前駅の改札さんに、川部の下車代を証明してもらいました。

2日間かけて宗谷本線を行ったり来たり【日本半周'24冬#6】

車内が狭い臨時列車「SL冬の湿原」号を満喫し、網走駅前の東横インに宿泊。もっと安い宿はあったのですが、面倒くさくなってやめてしまいました。仕方なく、と言う感じです。

午前中はもれなく網走監獄へ。内部はなかなかの充実ぶりで、全部見ると思った以上に時間がかかりました。

「北海道の開拓は、半ば囚人の手によってなされた」。囚人と看守ともに過酷な労働の結果、原野の北海道が開拓され、現在のような便利な環境が整ったのです。その間にいったい何人の方が亡くなったことか。。。

北見のハッカ記念館に立ち寄って、旭川で一泊。翌日の午前中は留萌線の深川~石狩沼田間を乗りつぶしてからいよいよ宗谷線で北上します。その前に旭川東武トップツアーズに寄ったのですが、なんとマルス端末が撤去されていました。事前情報では設置されているとのことでしたので、残念なことこの上ありません。ちなみにこちらのサイトを参考にしました。

jr-mars.dyndns.org

ここからは、北の大地入場券を求めて2日間かけて宗谷本線を文字通りなめまわします。なにせ本数が絶望的ですので、駅巡りにはこうするしかないのです。

雑な手書きですんません

宗谷本線の旭川地区と並走するバスを使えば、もう少し多くの駅を訪れることも可能です。当初は小説『塩狩峠』の舞台である塩狩駅に行くつもりで、調べたところ名寄で7分の接続でバスを発見。塩狩峠記念館に行こうとしましたが、冬季休館ということで、今回はやめにしました。

稚内ではライダーハウス「みどり湯」に宿泊。ライブドアブログをほぼ毎日更新なさっていて、私の写真も載せてくださっています。

宗谷線の旅2日目はタクシーで稚内に行くところから。

北海道フリーパスを利用して、出札で朝一番のサロベツ2号の指定券「稚内音威子府」をお願いしたところ、旭川までにされてしまいました。「音威子府」の印字見たさもあり、きっぷは注文通りに作ってくれよと突っ込みたくなりましたが、車掌に申し出て音威子府で降りてくれとか言われる未来が見えて、だるかったので何も言いませんでした。

天北線の資料室は9時30分から開くようで、見学することはかないませんでしたが、美深にある美幸線の資料室は見学することができました。簡易委託で補充券も気軽に売ってくれる駅として有名な美深ですが、鉄道グッズもたくさん売っています。こちらが私の収穫。

美深からはサロベツライラックを乗り継ぎ、この日は札幌の東急REIホテルに宿泊。2人ツイン、朝食つきで9,000円もしませんでした。

SLの煙にいぶされて【日本半周'24冬#5】

北海道に来て4日目。この日は釧路からSL冬の湿原号に乗りに行きました。雲一つない晴天。さわやかな冬晴れ、という言葉がよく似合う朝です。

左の写真は新得駅前。ロータリーが雪で埋もれています。ここに飛び込んで人の形をつくりたいとかいう人の気持ちがわかりません。服の隙間から雪が入り込んで冷たいし濡れてだるいし、いいことないじゃん。

そんなことはどうでもよく、きたる3月31日をもって廃止となる、根室本線富良野新得間9駅の記念入場券を2,000円で迷った挙句購入。富良野新得の分は子ども用の入場券もあります。

8時50分のおおぞら1号に乗車。釧路でSLにちょうど接続する列車ですので、混んでるかと思いましたが、そうでもありませんでした。

釧路では8分の接続時間のあいだに改札を飛び出して出札に並び、北の大地入場券を購入。

3人ほど並んでいましたが、やばい!!間に合わない!!ということもなく、ホームを走る、将来を担う(?)若き鉄ヲタたちを横目に普通に乗りました。接続8分もあれば余裕ですな。

車内に荷物置き場などというものはありませんので、車内はとても狭く、車内販売もご覧の盛況っぷり。私は銘菓「丹頂鶴の卵」を購入。一応貧乏旅行中ですので、これをお昼ご飯にするつもりです。正直に書くと、かもめの玉子にそっくりでした。美味。

塘路駅に到着。運よく本物の丹頂鶴を見ることができました。特別天然記念物ですよ。ちょうど飛び立つ様子も見られました。

思えば初めて客車列車に乗った気がします。標茶ではもちろん入換の様子を見ていました。ノロッコ用のDE10が補機としてくっついていますが、どうやって運転しているのでしょうか。その方面には詳しくありませんので、不思議です。

激せま客車の旅も終わり、駅近くの休憩所で一休み。乗ってこられた方の大半は釧路行きのSLにも乗られたようで、発車後は街が静かになっていました。ただ、標茶ではSLの向きを転換させることができませんので、釧路行きはうしろ向きに進んでいく格好になります。

2時間半後の普通列車で再び北上。こいつがまた混んでいまして、途中までデッキに立つことになりました。座れたとしても海とは反対側で、流氷はわずかばかりカメラにおさめておきました。

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